自己株取得と株価の関係についての論点整理

Twitterに書いたやつを整理しました。まあまあ難しい内容です。

この議論の背景と結論

自社株買いが株式価値にどのような影響を与えるかの議論である。理論的には、自社株買いを行っても1株当たりの株式価値は変わらないというのが定説ではあるのだが、完全な純粋理論で企業価値を評価することは稀であるため、ここに少しの現実を追加した場合に、本当に変わらないのかという議論をしたいと思う。また、説明の便宜上、用語が多くなるので、脚注を多めにつけておいた。

結論としては、仮定に仮定を重ねなければ、理論的にも1株当たり株式価値に対して中立にはならない。現実において自社株買いは株価にプラスの影響を与えるが、理論においても自社株買いは株価にプラスだと考えるのが妥当だと思われる。

理論的な株価とは

純粋な理論に基づいて考えると、1株当たり株式価値と株価が一致する。そして、1株当たり株式価値はDCFやDDM*1で求められることができる。株式数については、純粋理論上は自己株式を除却するまでは発行済株式の総数を使うべきだが、自社株買いについて考える文脈で自己株式を控除してよいだろう。

また、類似企業比較法も一物一価という経済学の考え方に基づいているから、ある程度理論的なものだといえる。バイサイドリサーチまたはセルサイドリサーチで働いている友人たちに話を聞いても、DCF法で株価を評価している人は少数であり、どう考えてもEPSで評価している人のほうが多い。自社株買いが株式価値に影響を与えないという論調は、たいていの場合でDCF法での評価を想定しているのだと思われるが、ここではマルチプル法で評価した場合も考える。

理論的には、自社株買いは1株当たり株式価値に影響しない

さて、DCF法で考えると自社株買いは株式価値に影響を与えないとされる。証明してみよう。DCF法による企業価値は、UFCF*2とWACCで決まるから、これ以外の指標は無視する。簡単化のため、UFCFは未来永劫100百万円で一定とし、WACCは10%と仮定しよう。このとき、事業価値は100百万円/10%で1,000百万円と算定できる。財務キャッシュフロー金利はUFCFに影響を与えないから、自社株買いをしてもしなくても、UFCFは100百万円のままである。WACCが変化しないと仮定すると、事業価値も自社株買いの影響を受けず1,000百万円のままである。

いま、現金が100百万円、デットが400百万円、発行済株式数が10百万株と仮定すると、1株当たりの株式価値は、(1,000百万円+100百万円-400百万円)/10百万株=70円という計算になる。

さて、1株70円で1百万株の自社株買いをする場合を考える。現金が70百万円減少して30百万円となり、株式数が1百万株減少して9百万株となる。事業価値は一定だと仮定したから、株式価値は、(1,000百万円+30百万円-400百 万円)/9百万株=70円となる。

以上が、自株買いを行っても行わなくても、1株当たりの株式価値は変わらないという主張の根拠である。ただし、自社株買いをしてもしなくても、WACCが変わらないというのは仮定しただけであるから、これが本当にそうかを考える。

理論的には、自社株買いはWACCに影響しない

いま、時価総額500百万円、ネットデット100百万円の企業Cがあったとする。ネットD/Eは0.2であり、ごく一般的な水準だと考えられる。ピア・アンレバード・ベータ *3が0.8、Rf *4とMRP*5をそれぞれ1%、6%で一定だと仮定する。これらは企業Cのネットデットには影響を受けない。

企業Cのレバード・ベータは、0.8×(1+0.5×(1-30%))=0.91となる。50百万円分の自社株買いを行って、ネットデットが150百万円まで上がったとすると、同じ計算でレバード・ベータは0.97になる。CoE*6は6.47%→6.81%のように増加する。

いったん、ネットデットが増加しても金利が変わらないと仮定する。いま金利を2%とすると、税後のCoD*7は1.4%となる。デットデットの減少によって、E/(D+E)は83.33%→76.92%と減少する。WACCを計算すると、5.63%→5.56%と減少になる。

金利の上昇分を考えなければ、WACCは減少していくことになる。しかし、純粋論理上では、ネットデットが増加した分だけ、金利が上昇すると考える。ここで、金利が2.00%→2.42%まで上昇すると仮定すれば、WACCは変化しないことになる。純粋理論上でWACCが変化しないと仮定されるのは、このような金利上昇があるからである*8

WACC計算過程

現実的にはWACCは下がるし株価は伸びる

以上のような議論は、理論に忠実に考えた場合の話である。しかし、現実的に考えてみると、ネットデットが増加すれば、WACCが下がると考えたほうが自然である。たとえば、A社(EV 100, Net Cash 50)とB社(EV 100, Net Debt 50)の2社があったとして、資本コストが高いのはどちらであろうか*9。実務家にとって、A社のほうが資本コストが高いというのは、感覚的には明らかだと思う。

理論に沿った説明をするのであれば、ネットD/Eが多少増加しても、ベータも金利もそこまで大きくは動かないと考えるのが自然なのである。このため、自社株買いを行えば、WACCが減少する分だけ1株当たり株主価値は増加すると考えられる(もちろん、現金がカツカツの場合など、ネットデットの増加で大幅にCoDが上昇してしまうようなケースは別)。

補足としての類似企業比較法

確かに、純粋理論で考えるならDCFのほうが都合がよいのだが、現実に目を向けると、DCFを使って分析している投資家は多数派ではない。業界によっては、EPSしか見ていない人もまあまあいるし、それが全く理論とかけ離れているとも言えない。

PERで評価する場合、自社株買いで株式数が減少した分だけ、EPSが上昇するので株式価値にはプラスになる。EV/EBITDAで評価する場合、企業価値が変化しないため、株式価値には影響が出ない(DCFの前半と同じ計算)。

なお、自社株買いをしてNet Debtが増えるとPERが下がるという主張があるが、これは理論的には正しくない。類似企業比較法で考えるときは、あくまで類似企業のPERを参照するわけだから、評価対象の会社のPERは参照しない。このため、類似企業比較法に基づいて考える限りでは、Net Debt増加によるPERの変動はない*10。ただし、類似企業のPERを参考程度に確認しつつ、評価対象の企業自体のヒストリカルPERで考える投資家もいるだろうから、現実的にはPERが下がりうる。

総括

自社株買いの株式価値への影響を考えてみた。現実はそんなに理論通りに動いていないから、理論に傾倒しすぎるのはよくないと思っている。しかし、ときにはこういう理論について考えるのも、よい頭の整理になるように思う。

自社株買いには、株主還元意識の高さをを示すことや、自社の株価が控えめであることの示唆といった、シグナリングの意味合いももちろんある。自社株買いに対する評価は、これらを総合的に考える必要があると思う。

個人的な意見を言うと、投資先がないのであれば素直に株主還元をするのが良いと思っている。

*1:配当割引モデル。Discounted Divided Modelの頭文字。

*2:Unlevered Free Cash Flowの頭文字。アンレバード・フリー・キャッシュフロー。受取利息や支払利息の影響を取り除いたフリー・キャッシュフローのこと。

*3:資本構成を調整した類似企業のベータ。

*4:Risk-free Rateの頭文字。

*5:Market Risk Premiumの頭文字。

*6:株主資本コスト。Cost of Equityの頭文字。

*7:有利子負債コスト。Cost of Debtの頭文字。

*8:厳密にいえば、純粋理論では税金などがないと仮定したりするため、上記の議論以上に現実とは一致しない。

*9:A社は企業価値が100で(現金-有利子負債)が50、B社は企業価値が100で(有利子負債-現金)が50、という意味。

*10:見かけたことはないが、類似企業の選定条件にCash Richな企業であることなどを掲げるのであれば、類似企業が変わることによるPERの変動はあり得る