親が教育に無関心だった場合でも、同じように進学し、同じように就活をできただろうか?

質問箱でいただいたテーマについて。長くなりそうなので。

いただいたご質問

親が教育に無関心で中学受験をすることなく公立校に進学した場合、予備校代や学費、生活費の金銭面含めて本当に自分自身の努力だけで今の職業にありつけると思いますか?

質問を見た瞬間に思い浮かんだ回答は、「まったく同じ職業に就くのは難しいかもしれないが、それなりの大企業には就けただろう」だった。しかし、この質問はよく考える価値があるように思えた。今の職業に就くために必要だったものは何か、何があったことがプラスになったのか、むしろ何があれば追い風だったのか。

よく考えてみると、なるほど面白い。3つの要素があるように思えた。

  1. 好奇心を持つこと、努力することを許される環境
  2. お金があれば楽できるのに!と思える環境
  3. 自分より優秀な人がいない環境

好奇心を持ち、努力することを許される環境で育った

幼いころから好奇心は強いほうだったし、成し遂げたいことのために努力をするタイプだった。私の両親は、それを否定しなかった。いくつかのエピソードを紹介しよう。

小学校低学年のころ、とある理科の実験がどうしても成功しなかった。失敗したことに納得がいかなかった私は、実験で作った道具を再現して、休み時間や放課後に何度でもやり直した。それを見た担任の教師は、「そろそろ諦めたらどうだ?」と言ってみたり、「〇〇君は1か月前の授業の内容をまだやってるよ笑」と言ってクラスで笑いものにしたりした。私の両親は、それを聞いても笑わなかったし、なぜうまくいかないのかを見つけられるようにヒントをくれた。私の家庭では、好奇心を持つことを許されていたのだ。

同じく小学校低学年の頃だったと思うが、スイミングスクールで学校の同級生に負けたのが悔しくて号泣していた私を、両親は市民プールに連れて行った。何時間も何日も練習して、ようやくその同級生より速く泳げるようになった。私の両親は泳げない。競泳のアドバイスはできないし、お金をかけてより良いスクールに通わせてくれるわけでもなかったが、自分で努力をする機会は与えてくれた。

もしこのような環境がなかったら、私は努力をする習慣を身に着けてはいなかったし、好奇心を持たない人間に育っていただろう。この意味で、私は恵まれた環境で育っている。ただし、直接的に提供されたのは、小学校レベルの理科の知識と市民プールの入場料だということは忘れないでほしい。本人にやる気さえあれば、そんなにハードルの高いものではない。

人生の中で何度も、お金があれば楽できるのにと思った

先入観のある人が多いようだが、中学受験をしたのは私が望んだからであって、両親が無理やりSAPIXに連れて行ったというようなパターンではない。両親はむしろ、お金がかかる私立進学に反対しており、しぶしぶ塾に送り出したという格好だ。兄弟のほうがはるかに勉強ができたから、両親にとって私に勉強をさせることは「バックアップ・プラン」だった可能性も高い。

大学受験期にも、安上がりな地元国公立を推す親と、上京したい私とで衝突があった。最終的には「金を出さないなら奨学金を借りて進学する。その代わり、葬式に出席してもらえると思うなよ」と言い切り、親から金を引き出すことに成功した。これ以降、両親はあまりお金にうるさくなくなった。

いずれにせよ、私の両親は重課金して子育てをしようとしていたわけではないし、お金がらみの家族喧嘩というものはよく起こっていた。こういった環境で育ったから、お金があれば平和に過ごせるはずだ、お金があれば幸せに過ごせるはずだ、という価値観が醸成されていった。

もし、中途半端に裕福な家庭に育っていたら、お金があれば楽ができるとは考えなかったと思う。都内の大学に進学したのも、そのほうが稼げる職に就けそうだと考えたからであり、学業的なモチベーションからではない。お金を稼ぎたいと思っていなければ、大学進学自体が怪しかっただろう。

上には上がいると知らなかったから、ひたむきに頑張れた

最後に、適度にうぬぼれる必要があったと思う。小中高は大した学校に行っていなかったから、努力さえすればたいていの領域ですぐに一番になれた。高校を卒業するまで、自分より優秀な人に会ったことがないと思えるくらいにうぬぼれていたし、実際にそう思っても仕方ないほどに周囲のレベルは低かった。上には上がいると知らなかったからこそ、努力をすれば報われると信じ込むことができたのだと思う。

何かの間違いで開成や筑駒に進学していたら、努力で勝てる相手ばかりでないと気づいていたはずだし、上を目指すことをあきらめていたと思う。私が上へ上へと努力できていたのは、才能の壁を感じないようなレベルでしか戦ってこなかったからだと思う。

大学に進学した後は、もちろん自分より優秀な人や、生まれたときから勝ち目がない資産家の息子などがいたから、このうぬぼれはほとんどなくなった。しかし、勉強に熱心な人はいても就活に熱心な人はいなかったから、就活というフィールドでは相変わらず一番を目指せた。今でもまあ、そんなに就活ガチ勢は多くないだろうから、私の母校の学生であれば、本人の意識次第で誰にでもチャンスがあると思う。

まとめ|環境の影響は受けるが、ほとんどの家庭で実現できるのではないか

さて、3つのポイントを振り返ろう。

  1. 好奇心を持つこと、努力することを許される環境
  2. お金があれば楽できるのに!と思える環境
  3. 自分より優秀な人がいない環境

1つ目の点は確かに親ガチャである。親が子供を馬鹿にしないというだけでよいのだが、最近の親ガチャは外ればかりだと聞くので、環境によって差がつく可能性は高い。別の家庭に生まれていたら今の職はなかったかもしれない。

一方で、2つ目と3つ目は、どちらかといえば環境が悪かったがゆえに満たせた条件だ。これを満たせる家庭はたくさんあるだろうし、満たせない家庭なら総合的にはむしろイージーモードだろう。

こう考えていくと、冒頭の質問についてはYESだ。中学受験や生活費自体は問題になっていない。幼少期に好奇心を持つことを許された、この一点にすべてが集約されているといってもよいだろう。まあ、内心は自由だし、子供がその気になれば、ファーブルのように学校をさぼって昆虫を見ることだってできるのだから、環境が悪ければ即終了というわけでもないように思う。

さいごに

最後に2つだけ言いたいことがある。

1つ目。格差はある。環境の影響はある。それを否定することはできないが、それを理由に腐るのはやめろ。自分にできることをやればいい。不平不満を並べて社会のせいにしたって、現状は何も変わらない。高所得者だって毎日重税に文句を言っているが、税率は一向に下がっちゃいない。

努力は複利だから、10時間や20時間の勉強で目に見える成果は出ない。でも、1,000時間、2,000時間と勉強をしていけば、以前はさっぱりわからなかったことが、なんとなくわかるようになっているものなのだ。20年間努力を怠ってきた人が、複利で20年間の努力を積み上げてきた人に勝つことは、おそらくもうないだろう。でも、今からでも努力をすれば、努力をしなかった世界線の自分には勝てるはずだ。

2つ目。努力して上を目指して、すごく良い企業に入ったとしても、それで幸福になれるとは限らない。ほとんどの人にとって、人生のKGIは学歴でも職歴でもない。KGIを何とするかは人それぞれだとは思うものの、99%のケースで幸福だと思う。

確かに、学歴や職歴は家庭環境の影響を受ける。しかし、アッパーミドルの家庭に生まれたことが幸福に寄与することはほとんどなさそうだ。学歴や職歴が優れた人だって、人生のKGIを達成できずに同じように悩んでいる。自分の経歴や過去の怠慢にコンプレックスを持っている人は、いったん冷静になって、人生のKGIとそのためのKPIを考え直すのが良いのではないだろうか。