環境のせいで進学できなかった子供たちの話をしようか

環境格差はある、ということがなかなか伝わらないので。

参考動画

次の動画は、NPOが作成した格差問題に関するショートムービーである。「下層社会」を知らない人にとっては、勉強になるものではないだろうか。

しかし、実際の下層社会はこんなに甘くない。より深刻な格差が存在する。

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日本の下層社会

今から書くことは、ド田舎の底辺環境で育った友人の話であり、ほとんどはフィクションである。そのことに留意してお読みいただきたい。

彼は大都市から程遠い田舎町で生まれ、何度かの転勤による引っ越しのあと、治安の悪い田舎の町立小学校に入学した。振り返ってみると、大学進学率は1割くらいだったように思うし、おそらく中卒の割合もそのくらいではないかと思う。上位1割が大学に進学し、下位1割が中卒で、中8割が高卒である。全国平均の高卒率が99%、大学進学率が50%に迫る平成後期においては、下層社会といってよい環境だったと思う。

町の環境1|片親家庭は主要派閥

日本の下層社会においては、離婚も再婚も日常茶飯事であり、兄弟3人の母親が全員違うというケースもあった。片親の児童の親同士が結婚し、同級生が兄弟になるというライトノベルのような事例もあった。

いずれにせよ、片親家庭というのは珍しくないどころか、20-30%程度いる多数派の1つだった。片親家庭であることは隠すようなことではないし、町営住宅に住んで母子家庭手当を受け取ることは、特権階級かのように話されることすらあった。少なくとも、恵まれない家庭の代名詞かのように使う人はいなかった。

水商売や長距離トラックの運転手という人もたくさんいたから、両親がそろっていても子供に対して時間を割くケースは少ない。授業参観で両親がそろっている家庭は、珍しい動物を見るような目で見られていた。

町の環境2|親が日本語を読めない

親が外国人というケースも多かった。最低限の日本語が話せるだけで、読み書きはできず、学校からの書類はすべて捨ててしまうのだそうだ。もちろん、都会の人がイメージするような、英米系エリートとのハーフではない。要するに、低所得労働者とフィリピンパブの従業員による出来婚である。

こういった子供たちのために、ひらがなで書かれた保護者向けの書類が用意されたりすることもあったが、配慮するとしてもその程度が限界である。親が子供の勉強の面倒を見ることなんてできないし、親が受験の願書を取り寄せてくれるなんてことはない。

町の環境3|学校の先輩が事故死

私の友人が中学生の頃、仲の良かった同級生の兄で、小学生の頃の1つの上の先輩が、事故で亡くなった。死因は溺死である。バイクの無免許・飲酒運転の結果、海や川に落ちてなくなった。

その同級生の死亡を受けて、仲間たちがお酒を飲まないことを誓ったり、彼の分まで生きるために、高校を中退して働きはじめたりしたのである。

町の環境4|クラスの半分が中退する高校

地元で一番治安の悪い高校では、クラスの女子生徒の半数近くが妊娠を理由に中退するような状況であった。父親が不明なことも多いし、無免許&未成年飲酒運転などで事故死する人もいる。早速、17歳のシングルマザーが誕生する。

私の友人は、高校3年生のころ、毎日同じ図書館で勉強して同じコンビニで食事を買っていたら、コンビニの店員と顔見知りになった。そして、その店員から、友人と店員が同じ年齢であること、高校を中退してシングルマザーになったこと、馬鹿だから高校を卒業できなかったけど、子供はちゃんと育てたいということ、などを聞いた。

環境格差の帰結1|高卒が高学歴になる

冒頭の動画にあったような、子だくさん+片親家庭で、長男や長女が事実上の保護者となっているケースは存在する。高校生になった長男に求められるのは家計を支えることであり、勉強をすることではない。このような環境下では、高学歴になることは絶望的だろう。

しかし、冒頭の動画とは違って、そもそも子供自身も大学に進学する意欲はもっていない。彼らにとっては、高校を卒業することが目標である。親族には1人も大卒がいないし、大学は一部の特別な人が行く場所だと考えられている。日本全体でみれば、大学進学率は約50%であるにも関わらずだ。

インターネットで見かけるような「環境のせいで低学歴になった!」といった不平不満は発生しない。なぜなら、彼らにとって高卒は十分に高学歴であり、高卒で就職するのがごく自然なことだからだ。

中学3年生になると、どこの高校が就職に強いかという話で盛り上がる。中退率が一番低い高校を卒業すれば、その地域では高学歴になるのである。

環境格差の帰結2|下層社会にもエリートは存在する

彼らの中で最もエリートなのは、大企業の高卒枠採用である。東京電力の作業員などに採用されたときには、東大生がマッキンゼーに採用されたときよりもはるかに大きな喜びを示す。

同様に、町役場というのはエリート中のエリートだ。ほとんどの住人が、上京するお金を持っていない辺境の田舎において、町役場がある地域は丸の内と同じ扱いである。町役場の職員は、一番発展している地域で働くインテリなのだ。

このように、下層社会には下層社会なりのヒエラルキーが存在し、そこでは、ゴールドマン・サックスモルガン・スタンレーも無名の三流企業として扱われる。

環境格差の帰結3|幸福度に影響はない

うすうす気づいている方もいるだろうが、彼らは自分たちを不幸だとは思っていない。

週末になると、自宅から車で30分以上かかるショッピングセンターのフードコートに行き、家族4人で余暇を過ごす。それが最高の贅沢なのである。

都内のレストランで初老の男性と食事をしている売春婦よりは、イオンのフードコートで食事をしている高卒公務員のほうが、はるかに輝いていると言えよう。素晴らしい人生を送れるかどうかにおいて、学歴や所得は些細な問題なのである。

格差に苦しんでいるつもりになっている人々のエゴ

そもそも、真に格差に苦しんでいる人たちは、学校歴など大して気にしていないのである。

他人の経歴を勝手に評価し、自分の経歴を環境のせいにしているような人たちは、そもそも「下層社会」の人間ではない。格差の議論をできる程度の頭をもった、中流階級の人間である。言い換えれば、あなたが低学歴・低収入になったのは、環境のせいではなく、ほとんどすべてあなた自身のせいである

また、あなたがた中流階級の人間が好む「学歴が低いから不幸なはずだ」などという卑しい思想を、自分らしく生きている人びとに押し付けるべきではない

彼らを格差から解放することは重要だが、その方法は、必ずしも学歴を与えることではないはずである。

格差の是正は難しい

格差そのものは重大な問題だ。それは間違いない。

しかし、学歴や所得のようなスカラー量で格差を測定し、それを向上させることで格差を解決しようとするのは、どうにも正しくないように思う。

格差の是正というのは、その目標設定もアプローチ方法も、すべてが難しいのである。

一生かけて取り組めるような重大な問題であるから、もし格差について興味があるなら、NPOなどに参画してみてはいかがだろうか。