残余利益モデルと株価益回りの話(Ohlson 1995)

Peingで非常に良い質問をいただいたので。

頂いたご質問

伊藤レポートのnote読ませていただきました! その冒頭、残余利益モデルの計算式として、残余利益 = 純利益 - 純資産 × 株主資本コストとありましたが、純資産に株主資本コストを乗算するところで引っかかってしまいました。

株主資本コストは算出方法こそCAPMを筆頭に様々あると思いますが、あくまでも大きな概念としては期待収益率 = 期待収益 ÷ 投資額(= 投資時点の株価)になるという理解です。この理解を踏まえると、残余利益 = 純利益 - 時価総額 × 株主資本コストのほうが正確ではないでしょうか。(いつの時点の時価総額を使うべきかは悩ましいですが、純利益が一期分の利益であることと平仄を取ろうとすると、期初の時価総額を用いるのが妥当かと思います。)

教科書的な書籍でも簿価を使う式が示されていますし理論的にはそちらの方が正しいのだろうと思いつつ、なかなか納得できないでいます。解説していただけると嬉しいです!

かなり勉強をしていないと出てこない論点であり、質問箱経由でいただいた金融系の質問の中では、最も気づきのあるご質問だと思っている。

原文

残余利益モデルは、James A. Ohlsonが1995年に "Earnings, Book Values, and Dividends in Equity Valuation" という論文で公表したフレームワークである。タイトルからも推測できるが、この論文では純利益・純資産・配当と株式価値を関連付けることを目的としている。この論文中で紹介された手法が残余利益モデルと呼ばれている。

論文のページの多くはクリーンサープラスやMM理論の話題に割かれており、全体的に純利益、純資産、配当の関係性がテーマである。クリーンサープラス*1を仮定すると、配当は純利益に影響を与えないが、純資産を介して残余利益に影響を与えるといった内容だ。

実務的な論点は特に含まれておらず、株主資本コストも "Cost of Capital" や "charge for the use of capital" という書き方であり、具体的にどの指標を使うべきかなどは議論されていない。一方で、残余利益が時価総額と純資産の差であり、その大小関係がROEと株主資本コストの大小関係で表せることなどには言及されている。*2

実践

論文から抽出できる計算式は以下のとおりだ。1期分の残余利益しか書かれていないため違和感があるかもしれないが、シグマ記号を加えれば見慣れた数式になるだろう。

株式価値 = 純利益 - (株主資本コスト - 1) * 自己資本

実際の計算式で表すと、自己資本と純資産のどちらを使うべきかや "charge of the use of capital" に何を使うべきかといった論点が浮き出てくる。冒頭のようなご質問も出てくるだろう。

ご質問への回答

頂いたご質問は「株主資本コストに対応するのは時価総額ではないか」というものであり、その理解自体は正しい。一方で、元の論文を踏まえるのであれば主語が逆のほうが良いだろう。

つまり、自己資本に対する "Charge" は株主資本コストでよいのか?という問いになる。個人の意見だが、自己資本に対応する "Charge" が何かを考えるのであれば、株主資本コストが最も妥当なように思う。

この点は、ROEと株価益回りの関係にも似ている。株価益回り(純利益 ÷ 時価総額)のほうがリターンに直結しそうなものだが、実際にはROE(純利益 ÷ 自己資本)のほうがよく使われている。

時価総額を使う

仮に自己資本の代わりに時価総額を使うのであれば、次のような数式になるだろう。

株式価値 = 純利益 - (株主資本コスト - 1) * 時価総額

株式価値 = 時価総額 + (株価益回り - 株主資本コスト) * 時価総額

さて、CAPMにおける市場リターンにはTOPIXの益回りを使うことが多いので、株主資本コスト = Rf + βL * (TOPIX益回り - Rf) となる。

簡略化のためにRf = 0と仮定して整理すると、次のとおり。株式価値が時価総額を上回るかどうかはβLやP/Eの水準に収束する。Rfが正になるとβLの影響が多少小さくなるが基本的な構造は変わらない。

株式価値 = 時価総額 + (株価益回り - βL * TOPIX益回り) * 時価総額

株主資本コストの推計方法

株主資本コストの推計方法はさまざまあり、CAPMはその代表的な手法の1つに過ぎない。推計方法の中には、株主資本コスト = 株価益回りという考え方も存在する。

この考え方の場合、株式価値 = 時価総額 + (株価益回り - 株主資本コスト) * 時価総額 はそのまま 株式価値 = 時価総額 と整理できる。

見方によっては、自己資本時価総額に置き換えた残余利益モデルの数式は、株価益回りで株主資本コストを推計することの妥当性を示しているようにも見える。

まとめ

元の論文の趣旨を踏まえると、残余利益は純利益 - 自己資本 × 株主資本コストで問題ないだろう。

しかし、こういった疑問を持って数式を整理し、さまざまな仮定をおいて考えてみると、思わぬところに示唆があるものである。企業金融の学習に終わりはなく、今後もいろんなことを学んでいきたいと思う。

*1:期末純資産 - 期首純資産 = 純利益 - 配当 になるという仮定。

*2:当時はROEという言葉はなかったらしく、純利益と純資産の比率というような説明的な表現が使われている。