最近学んだことの整理

時間に余裕があるので、楽しいインターネッツから学んだことを整理したくなった。

手段と目的

手段と目的を混同してはいけない。

その昔、「会社のトイレを掃除をすることで仕事の実力を高めた」という伝説的なツイートがあった。これ以降だと思うが、私は、手段と目的をきちんと区別することを強く意識している。ひとたび意識しはじめると、日常に潜む悩みや失敗のかなり多くの部分が、手段と目的の混同によるものであることがわかってきた。

何らかの意思決定をするときには必ず、「自分はこれを何の目的でやろうとしているのだろうか」と自問したほうがよいだろう。

特によく見られる失敗例としては、「筆記試験の勉強ばかりをしていたら、就職活動で失敗した」という類のものだ。筆記試験の勉強は、絶対評価なら無駄だとは言えないが、志望企業から内定を獲得するという目的に対しては、有効な手段とは言えない。

日本語を読める日本人は少ない

言葉での説明というのは、丁寧すぎるくらいがちょうどよい

薄々気づいてはいたが、ごく簡単な文章を読んで意味を正しく理解できる人は、実は相当に限られているようだ。例えば、次の主張をしたとしよう。

日本にも教育格差は存在するが、本人次第である程度は打開できる。本人にはどうにもできないような深刻な格差は多くないだろう。(60字)

たった60字の文だが、これをきちんと理解できる人はおそらく3人に1人もいない。3人に2人以上の人は、「努力をしても差は残るはずだ」や「打開できないような格差もある」といった反論をしてしまうのだ。推測だが、日本語を読めていない当人たちは日本語を読めていないことを自覚していない。言葉というのは適当に発していても伝わらないものである。

日本語をある程度まともに読める人たちが思っている以上に、日本語をまともに読むというのは、難易度が高いことなのである。

拡大解釈と類推解釈

類推解釈をしてはいけない。

「電車でタバコを吸ってはいけない」と言われたときに、新幹線でならタバコを吸っていいのか?という疑問が生じる。バスならどうだろうか。

「新幹線は日本の高速鉄道の一種であり、したがって電車の一種だから、電車で禁じられていることは新幹線でも禁じられているはずだ」という考え方を拡大解釈というらしい。逆に、「バスは電車ではないが、バスと電車は似ているので、電車で禁じられていることはバスでも禁じられるはずだ」という考え方は類推解釈というらしい。法律的な文脈では、拡大解釈はOKだが、類推解釈はNGらしい。

このようなことが日常でもよく生じている。勉強が得意な人なら、勉強の一種である資格試験も得意なはずだ、という拡大解釈は良いだろう。しかし、勉強が得意な人なら、(勉強ではないけど)仕事も得意なはずだ、という類推解釈はNGである。

ジェネレーション・ギャップの大きさ

年の離れた人間との意思疎通をするときは、根本的な価値観に決定的な違いがあるかもしれない、ということを意識したい。

最初にハッとしたのは、安楽死への賛否について聞いたときである。次のようなやり取りがあったそうだ。

若者「安楽死を合法化してほしい」

老人「自分に使えと言われたらどうするんだ」

若者(最初から自分で使うつもりで合法化してほしいと言っているのだが・・・)

根本的な死生観が異なるのである。老人世代は長く生きることを美徳だと考えており、人為的な死は「気に食わない人を排除するためのもの」だと信じて疑っていないようだ。

一方で、若い世代は死は救済であると考えていることが多いようだ。若い世代による安楽死への賛成はおそらく、救済のための手段を増やしてほしいという趣旨なのである。

人生に対する根本的なとらえ方が違えば、日々の様々な部分で意見が一致しないのは当然であろう。

絶望感の原因

現代日本の絶望感の原因は、未来に対する見通しが人類史上で最もネガティブだからではないだろうかと思える。

確か大学の教養課程で教わったことだと思うが、狩猟採取の社会から、農耕社会へと変化したとき、人々は今日と同じ明日を期待するようになったらしい。狩猟採取の社会では、どんな明日が来るかわからず、明日の食事に毎日頭を悩ませていたそうだ。農耕社会へとシフトしたことで、明日の食事に困らなくなり、心に余裕ができて文化が生まれ始めた、といった文脈だったと思う。記憶は定かではないのだが。

狩猟採取の社会はどんな明日が来るかわからないという社会である。農耕社会は今日と同じ明日が来るという社会である。この表現を借りると、おそらく工業化が進んだ時代は、人々が今日よりも良い明日が来ると信じた時代であろう。さて、現代日本では、経済衰退が決定的になっている。若い世代を中心に、多くの人々が今日よりも衰退した明日を想像している。

打開方法はまるで見当もつかないが、思い当たる人がいればぜひ教えてほしい。将来に希望を持ちたいからである。